バイラオーラ |
ダンサー |
| 本名: Mercedes Rodríguez Gamero |
| 生まれ:1947 Sevilla |
我々は「砂漠最後のコカコーラ」、つまりはフラメンコは唯一我々に力を与えてくれるもの。私は一筋の太陽の光で満たされるのに、人は不可能なことに興味を抱く。
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メルチェ・エスメラルダとして世界的に知られるメルセデス・ロドリゲス・ゴメロがフラメンコカンテを始めたのは、まだ幼少の頃だった。バイレに加え、カンテも始めた。12歳で生まれ故郷の若者対象のガラでデビューした。 その後マドリッドへ上京、プロのクラシックバイラオールとして多くのタブラオを踏んだ。
ソロのバイラオーラとしてフェスティバルの舞台に立ったのは16歳の時。即興で巨匠アントニオ・マイレナを歌った事実は、その後のフラメンコ界の歴史に残った。1968年には、コルドバのスペインフラメンコアートフェスティバル第一席を受賞した。テレビ番組の収録や国際ツアーも開始、スペイン舞踊界の巨匠らとの共演で経験を積み、まもなくにダンス教授のタイトルを獲得した。
メルチェ・エスメラルダはマドリッドのタブラオ公演を行いながらも、国際ツアーや教育活動もこなした。1977年以降はスペインのみならず、ドイツ、日本など世界各地で多くのコース、レッスンを開講した。ちなみに日本では1978年、数多くのリサイタルを精力的にこなしている。翌年には独自のカンパニーを結成し、ヨーロッパを周遊、その後スペインに戻ると、スペイン国立バレエ団のプリマドンナとなり、当時の団長アントニオ・ガデスからも絶賛を受けた。
数年後メルチェはムルシアバレエ団を設立、そのレベルを瞬く間に上昇させた。数多くの作品の中でも、アントニオ・マルケス、ホアキン・コルテスと共に、彼女自身が監督を務め主役を演じた「エル・シエロ・プロテクトール」は代表的なダンス作品。
ホアキン・コルテスは1993年に自身のカンパニーにメルチェを招聘する。その2年後にはアントニオ・カナレスとともにツアーを行い、大成功を収めた。こうした活動と時を同じくし、メルチェ・エスメラルダは個人のダンススクールを開校し、舞台「ムヘーレス(女たち)」でラ・ジェルバブエナ、サラ・バラスとともに、カンパニーを創設する。
フラメンコ芸術・バイレに捧げられたその人生は、チュス・グティエレスの映画「アルマ・ヒタナ」、カルロス・サウラの「セビジャナス」、「フラメニコ」につぶさに反映されている。 |
| Merche Esmeralda (メルチェ・エスメラルダ)
コラボレーション商品: |
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Merche Esmeralda (メルチェ・エスメラルダ)
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