 時計まわりに「アレグリアス」「ラ・アルヘンティニタ」「ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス」 J・ロメロ・デ・トレス作
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フラメンコは単にカンテ、バイレ、トケのみではなく、あらゆる芸術と関連性がある。その中でもおそらくフラメンコと関係が深いのは詩であるといえるが、この場合詩とはコプラ、一般詩に関わらない。
またこれに対し、フラメンコの本質にスポットをあてた彫刻、絵画の存在も重要だ。
スペイン人ではピカソ、ソロヤ、フリオ・ロメロ・デ・トレス、サンティアゴ・ルシニョル、外国人ではヘンリ・マティス、グスタブ・ドレ、フランシス・ピカビア、ロバート・ディローニーなどがフラメンコの表現・感情を形や色で表した芸術家の一例である。
エキゾティックにおけるロマンスの探訪 がフラメンコイラストの原点。画家、イラストレーターとして名高いグスタブ・ドレ (1832-1883)は、チャールズ・ダビリエの旅を題材とした古典文学「ビアへ・ポル・エスパーニャ(スペインの旅)」のイラストレーターに選出された。
両者は旅行雑誌「ル・トゥール・ドゥ・モンド」の取材のため、スペインを旅した。こうしてドレはアンダルシアの宿場、街頭のバイレ、カンテ、トケを絵画にした。
ストリートミュージシャンやフラメンコの旅行者はイラストの主人公となった(数年後にピカソも同じ試みをする)。エキゾティシズムと色彩主義は緻密性と融合し、19世紀終わり、産業革命転換期のスペインを象徴している。
ドレの作品はボレロを始めとし、ヘレスのハレオ、マラゲニャやザパテアドなど、アンダルシアの村の集まりで生まれた新しいスタイルの音楽学校の誕生にも貢献している。
これと時代を同じくし、印象派画家エドゥアルド・モネは 、ロマンス主義の頃フランスで流行っていたスペインを画題として探していた。その結果が「スペインのカンタンテ(1860)」、「バレンシアのローラ」などだ。この2番目の作品はパリのイポドロモで大成功を収めていたカンプルビ、スペインバレエ団のプリマドンナを描いたもの。
フリオ・ロメロ・デ・トレスの写実主義 時計まわりに「ぺピージャ・ラ・ヒタナ」(ソロヤ)、「ラ・オテリート」(スロアガ)、「ロラ・デ・バレンシア」(モネ)
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ロマンス主義から写実主義への移行と同時に、フラメンコが注目されるようになった。ここではスペインの習慣や人物像の肖像画・表現に光が当てられた。
結婚式、洗礼式、集会やパーティーで披露される音楽など、フラメンコの華々しい一面-つまりフラメンコの艶やかさ、話題性-に重きが置かれるようになった。
前述の傾向は、ホセ・ビジェガスを代表とし、マヌエル・カブラル・ベハラノ、ベッケル兄弟、アンドレス・コルテス、ホセ・ガルシア・ラモスにみられる。ちなみにフラメンコアーティスト、パストーラ・インペリオの肖像画をはじめとするホセの作品は、どれも高い評価を受けている。
また同時代にフラメンコに焦点をあてた画家として、イグナシオ・スロアガ(1870-1945)の存在も忘れてはならない。若かりし頃からアンダルシア闘牛に魅せられ、当時のスペインを象徴する習慣を描いた。
この次に登場したのがフリオ・ロメロ・デ・トレス(1874-1930)。彼は間違いなくフラメンコやアンダルシア、特にアンダルシア女性と密接に関係した画家であるといえよう。流行やきまりとらわれることなく、独自の色彩表現とスタイルを生みだした。
彼はスペインの象徴主義の最重要期に生まれたクリエイティブなアーティストだった。非常にエロティック、深くミステリアスなまなざしの女性肖像画作品で有名だが、そのなかでもラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス(髪飾りをつけた少女の意) やラ・アルヘンティニータが代表作品である。
その後新しい潮流がパリを始めとする海外から到来、スペイン芸術家の間に浸透し、2つの学校が生まれることとなる。ホアキン・ソロヤ創立のルミニスモ・メディテラネオとゴンサロ・ビルバオ、グスタボ・バカリサスのインプレシオニスモ・アンダルス。またホセ・ロペス・メスキータの存在も忘れてはならない。
各人とも各面からフラメンコにアプローチしているが、バイレはフラメンコに最も重大な要素。身体のなまめかしさ、衣装や動きがその「ことば」的媒体となり、アバアンギャルドの到来をわれわれに告げる。
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