 カルメン・リナレス
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現在最高のカンタオーラと謳われるカルメン・リナレス。その身上が舞台にあるのことは、先のフラメンコフェスティバル、スマ・フラメンカでも実証されている。このスマ・フラメンカでは新舞台「ファジャ・ロルカとカンテホンド」を発表、フラメンコに根ざしながらもシンフォニーからプロまで網羅した作品となっている。
フラメンコフェスティバル、スマ・フラメンカで新作の舞台を発表したけれど、マドリッドがこういった大々的なフラメンコ業催事を行うことについてはどう思う?
マドリッドはこれに値すると思う。またその必要性もあった。ここ(マドリッド)はフラメンコ熱が高いから。
リナレス生まれ、マドリッド育ちだけれど、あなたのプロ人生にとってマドリッドの意味するものは?
マドリッドは私にとって大きな意味を持っている。私はマドリッドでプロになった。15歳で上京して、プロとして歩み始め、ビッグアーティストの舞台を目の当たりにしてきた。ここで経験を積んだ。ここにはいいフラメンコがあるから。
新作舞台のタイトルは「ファジャ・ロルカとカンテホンド」だけれど、この舞台について話して
第1部はスイスのギターカルテットEos との演出。彼らは「恋は魔術師」とガルシア・ロルカの歌の一部を見事に演出した。これは昔ラ・アルヘンティニータがピアノにあわせ録音したピースでもある。
第2部はカンテホンド。ホセ・マヌエル・レオンがギター、エドゥアルド・パチェコ、ティノ・ディ・ヘラルド、フリオ・ブラスコのコントラバスも共演している。ここではフラメンコの作品をセレクトしてする。
何をセレクトした?
最新のディスコグラフィー「ウン・ラミート・デ・ロクラ」をつかったり、「アントロヒア・デ・ラ・ムヘール」も歌う。つまりはフラメンコアーティスト人生を通じての一大選択をした。
舞台には3つの名前が取り扱われているけれど、ひとつひとつみていこう。あなたにとってファジャはどんなフラメンコ的意味を持っている?
大シンフォニーで歌えること、それも窮屈感なくして。「恋は魔術師」の楽譜は既存のものだったが、それでも私は自由を感じ、とても心地よかった。それもこれもファジャはフラメンコにインスピレーションされてこの作品をつくったから。ファジャはカンタオーラ、パストーラ・インペリオのためにこの作品をつくった。だから(私は)他の音楽の世界に触れ、一味違ったカンタオーラになれた。これはすばらしい。「恋は魔術師」を歌うたびにそのすばらしさを実感する。
ではフェデリコ・ガルシア・ロルカは?
彼もまた特別な存在。ロルカはこれらの歌を選曲し、そこに音を与えた。今回私のグループはこの作品を演出し、フラメンコに変身させた。以前この歌を聴いて、古めかしさを感じた人もいただろうが、今回はモダンになっている。私らしいちょっとした味付けをしたから。
ロルカの詩は音楽的に無限な可能性を秘めている 。彼の残した作品、その貢献度には感謝するばかり。数多くの作品はどれもすばらしいから。
カンテホンドとは?
私には最高のもの。フラメンコは私にとって世界で最も優れた音楽。私は幼い頃からの生粋のカンタオーラ。フラメンコは人として、感情を表現すること、内に秘めたものをひきだすことを可能にする音楽。
新舞台で3つのコンセプトをひとつにするというアイデアはどこから?
私にフラメンコを歌うよう請求する人は多いけれど、違うタイプのカンテさえも要求される。だから一般的なもの、ホンド、ファジャの音楽をひとつにまとめる絶好の機会が今だと思った。でも全部っていうのは不可能、だからファジャの一部の作品、それからロルカ、さらにカンテホンドもと、すべてをちょっとずつ取り入れることに決めた。発想は3つの要素をひとつの舞台に集めること。これは観客もきっと気に入ると思う。
これは新しいタイプの舞台、3つのことを初めてひとつにしたのだから。
例えばスイスでカルテットEosと演出した「恋は魔術師」、この作品はフエンラブラダの教会でも演出している。でもこれは周知の事実ではない、オフィシャルなプレゼンでもないから。だから今回この舞台をピックアップするいい機会だと思った。概して経済的な問題から、3つのことを同時に行うというのは難しいことだから。
スマ・フラメンカでのプレゼンテーションの後、作品「ファジャ・ロルカとカンテホンド」でどこをツアーする?
各地を周遊したいと思っている。事実、もう問い合わせも受けている。でもこれは封切りの結果次第。もしウケがよければ評判は広がるだろうし、もしそうでなければカンテホンド、ロルカの歌、「ウン・ラミート・デ・ロクラ」のセンでいこうと思っている。舞台も同時進行で幾つか持っているし。 カルメン・リナレス
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第二次共和制を記念した舞台も準備中で、アルマグロフェスティバルで発表すると聞いたが?
時間不足で準備もできなかったけれど、当初の発想としては第二次共和制時代のフラメンコを再現した舞台を計画していた。でも時間がなかったので、結局は小規模なかたちでやろうと思っている。
結局アルマグロでは「ウン・ラミート・デ・ロクラ」をプレゼンテーションしたあと、共和政時代のカンテを幾つか選曲・再現する。ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの歌ったコロンビアナをやるつもり、あとはマチャド、ミゲル・エルナンデス、ロルカの詩にあわせたブレリアなど。合計で20~25分ぐらいかしら。でも気が向いたらもっと大々的にやるかもしれない。
最新アルバムのタイトルは「ウン・ラミート・デ・ロクラ」、フラメンコにはロクラ(発狂性)が必要?
みたいね。ちょっと気がふれてなくちゃ、というものね。でもこれは すばらしい発狂性。私の人生を満たすのはまず家族、そして音楽、つまりフラメンコ。舞台で歌うと自分を発散できる、自分自身を感じる。これは呼吸と同じぐらい不可欠なこと。
「ウン・ラミート・デ・ロクラ」から4年、次のアルバムは?
もちろんアルバムづくりは進めていく。これからはさらにハードな時期に入るけれど、できれば来年ニューアルバムのレコーディングを行いたいと思っている。
なにか情報を教えて
コメントは控えたい。これは特別なことだし、アイデアを台無しにしたくないから。レコーディングに入ったら、知らせるから。
「アンソロジー (カンテにおける女性)」はベストアルバムのひとつだが、フラメンコにおける女性の役割は?
女性はフラメンコに限らず、非常に重要な役割を持っている。この世界で女性は多くのことを成し得た。この「アンソロジー (カンテにおける女性)」で、カンテを支えてきた女性たちへのオマージュをしたかった。
ギター史上女性ギタリストは存在しないが、バイレ・カンテでは女性は重要な位置を占めてきた。だからこのアルバムでは、現在までの女性カンテのすべての作品とリメイクを集めて、すばらしい結果が生まれた。この2枚組CDには大満足している。おそらくこれまでで一番気に入った作品で、そこから得るものも大きかった。
目標とするカンタオーラは?
私にとって最高のカンタオーラはラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネス。もちろんラ・ペルラ・デ・カディス・フェルナンダ・デ・ウトレラ、ラ・パケラなども。ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネスことパストーラ・パボン。その長きカンテ人生、その中で(で果たしてきた彼女)の役割、存在の意味はとても大きい。彼女は非常に難しい時代にカンテに従事した女性。
お気に入りの若き女性アーティストは?
いっぱいいる、みんないい。若いカンタオーラ、カンタオールなどで新しい道を模索し、これから生き残っていくだろう人材がある。今全部は挙げられないけれど、例えばエストレージャ・モレンテ、モンセ・コルテス、アルカンヘル、ミゲル・ポベダ、ポティートなど。若手ではこのぐらいかしら、でも他にもいっぱい重要なアーティストはいる。
フラメンコにとっていい時期にあるということ?
フラメンコは絶好の時期にあるし、世界的にも評価されている. |
フラメンコは絶好の時期にあるし、世界的にも評価されている。政治に左右されず、ひとつの音楽スタイルとして毅然と存在してほしい。事実そうなのだから。
フラメンコアーティスト人生を通じ、多くの典型を創り上げてきた。ホンドを歌うのにヒタナである必要はない。これはれっきとしたフラメンコ、でもさらに新しい音を他の音楽に求めることもできる。どう思う?
もちろん。典型について語るのは意味のないこと。21世紀にあっては何かをするにあたって人種を問題視すること、女性・男性論を論ずることは、ばかげている。
思慮分別が存在すれば発展の可能性は時間の問題。歴史を通しても、21・22世紀はフラメンコの時代でわれわれの小宇宙。本質を知り、時間とともに発展させていかなければならない。
ファンも専門化もあなたを最高のカンタオーラだとしているけれど、その責任感は?
責任は重いが、まだ学ぶべきことが沢山あるから、そのまま真に受けたりはしない。自分がナンバーワンとか、2・3番というのではなく、できる限り最高水準のフラメンコを続けていく。
私には私のスタイルがある。もし気に入ってもらえればうれしい。たとえ気に入らなくてもそれもいい。最高のフラメンコを心がけている、最高のカテゴリーで、人の心を揺さぶるような。これが大事なこと、私がこだわるのはよいものを人々に与えること、歌で人を心地よくすること、そしてそれが私の音楽の手助けになればと思っている。
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